院長紹介
院長 齋藤 徹(Touru Saitou)
略歴
平成3年 神奈川歯科大学 卒業
平成3年~7年 ミキプラザ歯科医院
平成7年~15年 齋藤歯科医院 開業
平成15年~現在 さいとう歯科医院 移転開業
生まれ
私が歯科医師になった時、父はこう私に言いました。
「医療は日々進歩する、だから日々勉強しなければならない。
そして、患者さんの痛みのわかる歯科医になれ、
真面目に人として歯科医師として仕事をやれ!」
1963年 昭和38年日本が高度成長期真っ只中、
オリンピックや大阪万博などで日本中が賑わう中、
9月22日徳島県徳島市に生まれる。
産婦人科医である父により、直接この世に取り上げられました。
生まれた時は、逆さにしてお尻を叩かれても息をしなかったため、
父の人口呼吸により命を授かったのです。
そして、今私は歯科医として、人として、まだまだ未熟ですが、
父の言葉を忘れず、毎日医療に取り組んでいます。
今私は両親に対して感謝の気持ちで一杯です。
ありがとう。
幼少期
幼稚園は徳島の四国女子短大付属幼稚園というところに行きました。
ヒーローものが大好きで、主題歌やコスチューム、戦いごっこなどをしていました。
しかし、泣き虫の私は戦いごっこが嫌いでした。
なぜなら、悪者役をやらされて、みんあにやっつけられるからです。
特にお気に入りだったのは、「仮面の忍者赤影」でした。大丈夫!
小学校
小学校の時は、少年少女合唱団に入団していて声変わりまで歌っていました。
今でも歌は好きです。剣道も1年から6年までやっていました。(森田健作に憧れて)
私は歯が悪く。歯医者が大嫌いでした。
小学校3年のクリスマスの夜でした。
その日は親戚の叔父からアイスケーキを貰ったので、食後食べるつもりでしたが、虫歯が痛くなり顔が腫れてきて、父の知り合いの歯医者さんに行き、膿を切って
もらいました。その後熱が出て、寝たきりの年末でした。
兄弟達がワイワイやっている中、私は独り歯痛で顔を冷やしながら、布団の中で涙ぐんでいたのを覚えています。
実はその頃の歯医者の治療は超痛かったのです。
中学校
中学校に入り、中学の応援団長になりました。
礼儀や縦横の関係を学びました。
この頃ビートルズに目覚めロックの虜になって行くのです
バンドを組みベース兼ボーカルをやりました。
この頃将来なりたいと思うのは、ミュージシャンでした。
高校時代
ロック に熱中する。
バンドを組んで、最高の仲間達との高校生活を感じた。
「マザーノイズ」というバンドを結成しロックに明け暮れたました。
学園祭でバンドのボーカルをやっていたのですが、またもや肝心な時に、歯痛で頭まで痛くなり薬局で痛み止めを買って飲みすぎてふらふらになりながら、歌を熱唱しました。
もう歯が痛いのは嫌だ・・・・。と思いは医者に通い、辛く痛い日々を我し続けて歯を治しました。
やはり予備校に
音楽の道も考えましたが、やはり歯科医師の道を選びました。高校の時ろくに勉強しなかった私は、必死で勉強しました。
1年では受からず、2年浪人をしました。
二十歳の成人式の日に東京の江東区の下宿から、コンビニに買い物に行った時、同い年の振袖をきた女の子や袴の男の子がいて、私は田舎に帰れず、悔しい思いをした事を覚えています。
大学時代、卒業後
神奈川歯科大学に入学し、歯科医になるために、勉強をさせて頂きました。
お世話になった、先輩、恩師のおかげで無事卒業。
ラグビー部の先輩の紹介で恩師である鎌倉の「ミキプラザ歯科医院」の田中直人先生と出会い、ご指導いただきました。ありがとうございます。
恩師のおかげで、今の私がいます。ありがとうございました。
開業
京急長沢駅前で平成7年から平成14年まで、平成15年に京急久里浜に移転開業し現在に至ります。
長沢の患者さんたちには感謝しております。急に移転した事をお詫びいたします。
理念
幼稚園、から大学、まで歯医者に通ったのですが、歯医者は「痛い」思いしかなかった。そして「怖い」思いしかしなかった。
ユニットに座ると「今日何するんですか?」と聞きます。それを先生が教えてくれなかったり、器具を隠し持っていたりして。
子供心にすごい恐怖でした。
神経を取る治療なんか頭の先から足の先まで抜かれるような感じ治療後は背中は汗でびっしょり。
私は歯が悪くて歯医者で治療を受けてきました。入れ歯以外の治療はほとんどやってきました。だから治療の痛みが分るんです。
実は、小学1年生の時、歯医者で麻酔していない歯を間違えて抜かれてすごく痛い思いとともに、信頼できなくなり、それがトラウマになり歯科治療が出来ないために、大学の手術台の上で3.4人に押さえ付けられて治療しましたが、それがまたトラウマになり、自分が歯医者になったら絶対痛くしない、と心に誓いました。
今までやられた痛い事、嫌だったを患者さんには絶対にしたくない、まさに 冒頭にあった父の言葉にあるよう「患者さんの痛みがわかる歯科医」を目指しています。
そして出来れば、楽しんで来れる歯科医院にして行きたいと思います。

